豆知識 乾山の誕生

投稿者: | 2019年1月12日

乾山の誕生

「乾山」をご存知でしょうか。骨董品がお好きでない方もどこかで聞いたことがある名前だと思います。その乾山が誕生の背景をご紹介します。

御水尾天皇の中宮東福門院の御用呉服商であった雁金屋尾形家の三男として生まれた乾山は、父の死後、その遺産をもとに26歳で仁和寺のかたわらに習静堂を構えここで生活を送り、仁清御室窯に出入りして仁清より作陶の手ほどきを受けやきものに進んだ人物です。

元禄七年に二条家の山屋敷のあった鳴滝泉谷の地を二条綱平より拝領し、元禄12年に窯を築き乾山とブランドの銘をつけた乾山焼きを製作することになります。この銘は鳴滝の地が京都の北西の方向(乾)にあたっていることに由来しています。乾山は鳴滝において正徳二年まで作塔を行っており、この時期を鳴滝時代と称しています。

仁清より陶法書を伝授され、陶窯を開きますが、一説には仁清への入門以前から従兄弟の関係にあった宗入の義父一入より楽茶碗作りを学んでいたともされますが、樂茶碗は代々相伝するものになるので、そのこともあって仁清に入門したともいわれるそうです。

乾山の力強い色彩と作風にはそのような背景があったんですね。
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