豆知識 京焼の陶工と窯

投稿者: | 2019年2月5日

京焼の陶工と窯の名称をご紹介します

  • 青木木米(あおきもくべい)

木米(1767~1833)は、中国の陶技書「陶書」を読んで作陶に進み、奥田潁川(おくだえいせん)に入門します。粟田青蓮院の御用焼物師となり、1806年には、加賀藩の殖産興業を目的とした金沢春日山の開窯に際して指導に赴いている。識学陶工と称されて煎茶器を主体に、幅広い作風をみせた。とりわけ急須は、冴えた作風で京焼第一との評価を得ています。

  • 淡路珉平焼(あわじみんぺいやき)

兵庫県三原郡南淡町伊賀野で文政年間(1812~29)に開窯され、焼かれたやきものの総称です。その後天保5~6年(1834年~35年)には京焼の尾形周平を招いて仁清写し、道八写しなどの茶器や日用品が焼造されました。

  • 粟田口焼(あわだぐちやき)

粟田焼ともいいます。京都市東山区三条通蹴上(粟田口)で焼かれたやきものの総称。1624年ころに瀬戸より陶工が招かれ開窯されました。初期には唐物写し、唐津焼写しや錆絵、絵付陶器を焼いたが、次第に京焼色絵の高級陶器を産出した。1800年代に京焼本来の技法を継承し、京都最大のやきもの生産地となりました。江戸後期に清水・五条坂地域で京焼磁器が生産せれるようになり次第にその地位を譲ることになりました。

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