京焼の陶工と窯の名称
- 永楽保全 保全(十一代永楽善五郎1795~1854)は、京都の織屋沢井家に生まれ、十代了全の養子となり1817年に家督を継承した。27年に紀州徳川家の偕楽園御庭焼に出仕し、本格的に作陶するようになりました。仁清や小清水の伝統をひく色絵や交趾、染付、金襴手などに洗練された作風をみせるようになりました。
- 永楽和全 和全(十二代永楽善五郎1813~96)は、保全の長男として生まれた。1852年に仁清の窯跡に御室窯を築き、色絵陶器を製作しました。中国古陶磁の写しものにおいては、保全以上に本歌に迫る作品を残しており、赤絵、金襴手、染付、色絵など多彩な陶技を発揮したそうです。
- 大樋焼 初代大樋長左衛門(1630~1712)は、樂家四代一入の門人で、加賀前田家の茶堂であった裏千家四世仙叟宗室とともに、1666年金沢に赴き、仙叟の指導で樂家の技法を用いて作陶したと伝わっています。主として茶碗、水指、香合など茶道具などである。開窯された大樋町の地名もあり、大樋となっているそうです。
- 尾形乾山、乾山焼き 尾形乾山(1663~1743)が、1699年に鳴滝で焼造したやきもののこと。その後、1712年に市中の二条丁子屋町に移り、江戸に赴く1731年までここで作陶を続けた。押小路焼や仁清の陶法を総合的に継承して王朝古典、漢画的主題を陶画に表現し、デザイン感覚の優れたやきものを製作した。兄の尾形光琳絵付、乾山の自画賛のやきもの、欧風デザインの焼き物など、京焼に独創的な世界を確立しました。
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