仏像のモデルは皆さんご存知でしょうか。
諸説はありますが、仏像のモデルはお釈迦様と言われています。
お釈迦様の死後、弟子たちはお釈迦様があまりにも偉大な方であったため、その姿を像にすることをかたく禁止していました。またその姿を像にすることは不可能とも考えていたそうです。
紀元一世紀後半、西北インドのガンダーラ、紀元二世紀に中部インドのマトゥーラで仏像が作られました。お釈迦様は紀元前五世紀頃に実在したといわれています。仏像が作られるまで長い年月が必要だったんですね。また紀元前後には仏教に大きな変化が起こりました。お釈迦様以外にもたくさんの仏様が考えだされたのです。この新しい仏教の影響を受け、たくさんの種類の仏像が作られるようになりました。
日本に仏像が伝わった飛鳥時代
日本に仏像が伝わったのは六世紀の飛鳥時代になってからといわれています。法隆寺の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)はこの時代の有名な仏師、止利仏師(生没不明)(とりぶつし)の代表的な作品になります。この時代の仏像はアルカイック・スマイル(唇の両端がかすかに上がっている)、アーモンド形の目、衣のひだが左右対称になっているのが特徴です。これは当時の大陸の流行りもあり、全般的にスリムな仏像が多く作られていました。
参考:法隆寺・釈迦三尊(アルカイックスマイル、痩せ型の仏像)
白鳳時代
飛鳥時代の仏像を飛鳥仏といいます。飛鳥時代は、先ほど説明したアルカイック・スマイルのスリムタイプの仏像が主でした。その後の白鳳時代の仏像、白鳳仏は、童子顔のかわいらしい仏像が作られるようになりました。奈良県山田寺の仏頭などが有名だと思います。
参考:山田寺・仏頭(童子顔、明るい仏像)
天平時代
聖武天皇は仏経を深く信仰したといわれています。国家プロジェクトとして東大寺が作られました。この時代の仏像は表情や体つきがとても自然です。その後鑑真(がんじん)が来日すると同行した仏師によって当時の中国の流行りが伝わったといわれています。仏像は豊満な体形に変化していきました。
参考:東大寺・大仏、薬師寺・薬師三尊像 (写実的な仏像)
参考:唐招提寺・薬師如来像 (豊満な体形の仏像)
さいごに
飛鳥時代から奈良時代にかけ、仏像のスタイルが変化していきました。痩せ型の仏像から豊満で重々しい仏像に変化していきました。時代の流れで、当時の人々の食生活も変わってきて、豊満な体に魅力を感じるようになっていったんでしょうか。仏像のスタイルの流れを知ると、仏像の時代背景もみえてきて面白いですね。鑑賞する際のご参考にして頂ければと思います。
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