平安時代の仏像
平安時代に入りますと豊満な体形に加え、手が長い仏像や、頭がおおきい仏像など、体の一部を強調し、仏像に秘めた「力」を表現したものが作られるようになってきます。重厚で宗教的な力を強調されていたといわれています。また唐から空海(くうかい)が帰国し、真言密教をひらきました。こういったこともあり、日本で曼荼羅や明王像の密教美術が開花したといわれています。
また平安時代には木彫仏(もくちょうぶつ)が主流になりつつありました。この時代に登場したのが仏師定朝(ていちょう)です。定朝は木彫仏を主流とした流れをベースに寄木造(よせぎづくり)を完成させました。
寄木造とは、いくつかの木材を合わせて一体の仏像にするという手法です。この寄木造の発明により、大きな仏像が作りやすくなっていきました。
定朝は京都にある世界遺産平等院の阿弥陀如来坐像を作った仏師です。
修学旅行や歴史の教科書でみたことはあるのではないでしょうか。

定朝の阿弥陀如来坐像は、穏やかな表情、流線的な衣、バランスの良い体形が魅力的な坐像です。また当時貴族の間では極楽往生への願望が強かった時代でもあります。その時代背景もうけ、貴族好みの優雅な光背がつけられています。こういった定朝が作った様式を定朝様式などと呼ばれました。
阿弥陀如来坐像
像高277.2cm
髪際高242.3cm
木造、漆箔
鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像は、日本の仏像作家を代表する仏師定朝によって平安時代後期、天喜元年(1053)に造られたものです。その構造技法は日本独自の寄木造りの完成した技法を示します。また表現の上でも日本独自の様式、いわゆる和様の完成を見せる点がたいへんに重要です。 頬がまるく張った円満な顔。伏目がちですが意外に大きな眼は拝む者を静かに見つめ、その表情はかぎりないやさしさにあふれています。胸をひいて背をわずかにまるめた姿勢には無理がなく、いかにも自然で、どこにも硬い緊張感がありません。
引用元 平等院
光背(こうはい)とは
お釈迦様の体から一丈(約3メートル)の光が放たれているといわれています。その光を表現したのが光背です。
光背ははじめ天使の輪のような簡単なものでしたが、徐々に複雑なものになってきました。
一般的には天部仏様の光背はシンプルなものに、豪華な光背は如来に用いられます。また火焔の光背は明王というように決まっているものもあります。
光背全体を挙身光(きょしんこう)といわれ二重円相になっています。また仏様の頭部の後ろにある円部分を頭光(ずこう)、体の後ろにある円部分を身光(しんこう)、周りの部分を縁光(えんこう)と呼びます。
光背には様々な形があります。
- 挙身光(きょしんこう)の大日如来向けの基本型
- 如来立像向けの船形
- 不動明王向けの火焔形
- 忿怒の神像向けの火焔付き円形
- 宝珠形
- 放射状形
- 台座一体型光背
光背ひとつをとっても様々な形がありますね。こういったこともふまえて仏像を鑑賞されるはいかがでしょうか。
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