豆知識 お釈迦様の生涯とは

投稿者: | 2019年6月11日

仏経を開いたお釈迦様はどのような生涯を送ったかご存知でしょうか。

紀元前五世紀頃、インド北部のカピララヴァストゥの王子として誕生しました。誕生した年については、いくつかの説があります。はっきりわかってはいません。

お釈迦様の誕生

お釈迦様の誕生は一般的には次のように伝えられています。
ある日、お釈迦様の母親王妃マーヤーは天から白い象が自分の胎内に入る夢をみました。出産が近づいた王妃マーヤーはルンビニーの花園に立ち寄った時にふと沙羅双樹の枝に右手ふれます。すると右脇からお釈迦様が生まれました。

お釈迦様は誕生後、すぐに7歩歩き、右手を天に、左手を地に向け「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と唱えたといわれています。

そして王妃マーヤーはお釈迦様を出産後7日後に亡くなります。
その後王妃マーヤーの妹が王の後妻に入りました。

学問も、武芸も何事にも大変な才能に恵まれ、何不自由なく生活をしていきます。

結婚も早く、17歳で結婚をしました。

お釈迦様は何不自由なく暮らす中で、民衆の暮らしに触れていきます。民衆の苦しむ姿を見て、憂い苦悩したといわれています。

出家そして悟り

お釈迦様は29歳の時に全てを捨てて、出家します。
妻も、子供も、王位も全てを捨て、従者一人と、愛馬カンタカと城を出ました。

煩悩を捨て、悟りの境地を目指し修行をします。最初は高僧たちを師としますが、すぐに教えを会徳したといわれています。その後は肉体に苦難を与える断食や苦行を行っていきます。

お釈迦様の苦行は山中で仲間と六年続きました。しかし、このままでは悟りは開けないとわかり、仲間から離れ山を下ります。この仲間とは、お釈迦様の父親が連れ戻すために送り込まれた警護の従者たちでしたが、共に修行する身になっていました。仲間から離れ山を下りたお釈迦様に失望を感じました。

衰弱しながらお釈迦様は身を清める為川で沐浴していると、スジャータという娘が乳粥をほどこします。お釈迦様は精気を取り戻しガヤーの地の菩提樹の下に座り瞑想に入ります。7日目の夜明けに、ついにお釈迦様は悟りを開きます。ついに万物の心理に目覚めました。35歳の時でした。

最初の説法

お釈迦様は山で共に修行をした五人に心理の教えを説きました。彼らはお釈迦様を師と仰ぐようになりました。

そして80歳で涅槃(ねはん)するまで

35歳で悟りを開いたお釈迦さまの生涯は80歳まで続きます。人々の救済を生涯の目標とし各地を巡って伝道の日々を送り弟子だちも増えていきました。

クシナガラという地で体調を崩しお釈迦様はとうとう涅槃の時を迎えます。「涅槃(ねはん)」とは煩悩を離れ悟りの境地を意味し、お釈迦様の入滅を示す言葉です。

お釈迦様は沙羅双樹に囲まれた床で頭を北に向け、右脇を下にし、横たわりました。

「自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)」を弟子たちに説きました。

自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)とは

この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ(中村元訳「ブッダ最後の旅)

2月15日に入滅したされています。この日は現在でも「涅槃会(ねはんえ)」という法要が行われています。

涅槃図や涅槃像は、いずれも体を横たえるお釈迦様が描かれています。

火葬されたお釈迦様の遺骨は仏舎利といいます。仏舎利は8つに分けられ、各地で塔(ストーゥバ)を建てて祭りました。その後インドを統一したアショーカ王が仏舎利をより細かくわり8万4千の仏塔が建立されたといわれています。

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